エルネスト・レクオーナ Ernesto Lecuona

"キューバ人の心を伝える作曲家"

(1896年8月7日キューバ生まれ 1963年11月29日没)

キューバの代表的作曲家であり、ピアニストでもあった。
音楽家系に生まれ、5才の時に公開演奏をし神童と呼ばれた。11才には初めて作曲を手がけ、18才でハバナのウンベルト・デ・ブランク国立音楽院を優秀な成績で卒業。ピアノはホアキン・ニンなどに師事し、演奏では金メダルも取得した。
その後ニューヨークへ渡り、コンサート・ピアニストとして活躍し1921年同市のテアトル・キャピトールでの成功により国際的に名を高めた。同時に自作品を発表し、1926年歌曲「シボネイ Siboney」1928年ピアノ組曲「アンダルシア Andalucia」1929年「アフロ・キューバン舞曲集 Danzas Aflo-Cubanas」などスペイン的な曲や、自国キューバの民族色の濃い曲、ワルツ集、ハリウッドの映画音楽各種の部類の作品を書いた。
1932年にレクオーナ・キューバン・ボーイズを組織しヨーロッパ、アメリカで活躍、ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」の演奏で有名になった。自作自演の録音によるピアノ演奏ぶりも今日、聞くことができる。数年間ワシントンのキューバ大使館名誉文化顧問の職にもついたが、1959年のキューバ革命によりスペインに亡命した。キューバの大衆にはいつまでもキューバの心を伝える作曲家として、讃えられている。